【起業に迷っている人へ!あなたの背中を一押ししてくれるヒント、見つけませんか?あなたにこの『名言』を送ります】

自己啓発

この記事では色んな人の『名言』を集めてみました。起業に迷っている人、悩んでいる人、きっとあなたを救うキッカケになる言葉が見つかるはずです。


~目次~

1.人のやらないことをやる、だから面白い

2.あきらめるな!あとひと押しが成否を分ける

3.悪運は好運に通じる。逆もまた真なり

4.ヘビーな仕事が、人間を大きくする

5.「お金は力である」と、はっきり自覚せよ

6.まとめ


1.人のやらないことをやる、だから面白い

ソニー名誉会長 大賀典雄

 「人生がやりたいことと違う方向に向くことはよくある」

大賀さんはビジネスマンになるつもりはなかったが、ソニー創業者の井深さんと盛田さんの大きな力に誘導されてしまった、と言っています。

大賀さんはオペラのバリトン歌手で音楽活動を続けていたが、結局断念してソニーに専念しました。

本人の意思とは違う方向だったが、運命なのか、この方向で実績を築きました。本人も「後悔はない」としているそうです。

ここまで大きくなれたのも井深さんの「よそのまねはしない」という経営方針のおかげだと言っている。

セブン&アイ・ホールディングスCEO鈴木敏文

「反対されても言いたいことを言い、やりたいことに挑戦した」

~人間は何かにしがみつくと本当の力は出せない

言わずと知れた、セブンイレブンの創業者、鈴木敏文さんの言葉です。

鈴木さんはセブンイレブン創業の際、社内外からの猛反対を押し切って実現しました。アメリカで見かけたコンビニエンスストアをどうしても開店したかったのです。

彼は、計算ずくの生き方が苦手で、行き当たりばったりの生き方をしていたようですが、直面したことには全力で取り組んでいたそうです。

会社や仕事のやり方にしがみついていては目的は達成できない!これが彼の思いです。

セブンイレブンは公共料金の収納やATMの設置など、新しいサービスに着手していきました。

「失敗してもいいじゃないか、失敗も勉強のうちだよ」

本田技研工業創業者 本田宗一郎

「自分と同じなら二人は必要ない、自分一人で十分だ。」

〜私は自分と同じ性格の人間とは組まない、という信念をもっていた。

1948年、本田宗一郎は本田技研工業株式会社を設立しました。

始めのうちは経営がうまくいかなかったようです。

そしてのちの専務になる藤沢武夫氏を招き入れます。機械は素人だが、販売の腕は素晴らしい、本田は「自分の持っていないものをもっている!」と信頼したそうです。「性格の違う人間ともお付き合いできないようでは社会人として値打ちがない」と言っていたようですね。

松下電器産業創業者 松下幸之助

「商売は真剣勝負と同じで、切られているうちに成功することはありえない。“やればやっただけ成功するもの”でなければならなぬ。上手くいかないのは運でもなんでもない。経営の進め方が当を得ていないからだ。」

この言葉は、同業者が上手くいっていないというときに言った言葉です。商売は損得を繰り返して成功するのではなくて、先手必勝の真剣勝負だということ。

「志を立てるのに、老いも若きもない、そして志あるところ、老いも若きも道は開けるのである。」

もしもあなたが、自分の年齢などを気にして踏み出せずにいるのしたら、この言葉を思い出してほしいのです。志さえあれば、いくつになっても道は開けるのです。

イトーヨーカドー創業者 伊藤雅俊

「お客様は来て下さらないもの、お取引様は売って下さらないもの、銀行は貸して下さらないもの。」

この言葉は、伊藤氏が商売の基本だと考えていることです。

お客様が来てくれるということは有り難いこと、お取引先も、銀行もとても有難いものなので、感謝しなければいけないという思いなのです。

伊藤氏は言っています…

「冥利」(神仏が知らず知らずのうちに与える利益)という言葉が私は好きだ。利益は与えられるものであり、それが商人の道、人の道に通じる。

伊藤氏は毎年4月になると憂鬱な気分になるそうです。入社式の大勢の新入社員を見ると「この人たちの一生を預かって大丈夫なのか?この人達が人生を託すに足るかいしゃなのか?」という思いがよぎるのだそうです。

こんな大企業のトップでもこんなふうに考えるものなのだなぁと自分は思いました。私達にはわからないようなプレッシャーと戦っているのです。

ヤマト運輸元会長 小倉昌男

「…権力を持っているのに民衆のことを考えず、威張っているだけの侍は大嫌いだ。」

小倉氏は、宅配というものを広げるために、運輸省の役人と戦ったのです。そして規制を取っ払い、宅急便を広げていったのです。


2.「あきらめるな!あとひと押しが成否を分ける」

リコー創業者 市村清

「仕事はあきらめてはいけない。“最後のひと押しが成否を決める”のだと、紙一重の差を私はそこで悟ったのだった。」

市村氏はもともとは富国生命の保険外交員でした。

外交員時代、保険思想の最も遅れているとされていた熊本行きを命ぜられて、ここでかなりの苦労をします。

全く契約が取れない日々が続き、心が折れそうになったとき、奥さんに「あなたの履歴に一つも成果の出なかった仕事があったことになるのが悔しくありませんか?」と言われて「もう少し粘ってみよう」と考え直したようです。それが功を奏して契約を取れるようになったそうです。

やはり諦めない気持ちが大切なようですね。

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オムロン創業者 立石一真

「人に褒められて有頂天になり、ひとにくさされて憂鬱になるなんておよそナンセンス。何故ならそんなことぐらいで“自分の値打ちが急に変わるものではない”」

この思いは立石氏の子供の頃の経験によるもので、企業の経営者として常に冷静に行動しなければいけないということではないでしょうか?

思いがけない誹謗中傷や世間の無責任な風評に一喜一憂していては大きな仕事などできない、ふてぶてしさを身に着けろということなのです。

日清食品創業者 安藤百福

「私はたとえ医師や弁護士であっても、専門家の言うことを鵜呑みにはしない。時には素人の発想が正しいこともある。」

安藤百福氏といえば、チキンラーメンやカップヌードルですね。NHKの朝ドラのモデルになったことでも有名ですね。

安藤氏は色んな事業をやってきましたが、彼の信条は「素人だからと尻込みしていたら何もできない。素人ならではの発想が思いがけない成功を生み出すこともある。」ということです。

「即席めんの開発に成功したとき、48歳になっていた。遅い出発と言われるが、人生に遅すぎるということはない。」

安藤氏はある時期から“食”の事業に切り替わっていきました。それは、“食”こそが人間にとって最も崇高なものなのだと感じたからなのです。

私達は今でもカップヌードルを美味しく食べ続けています。

元プロ野球選手 野村克也

「今までの人生を振り返ってみると“人間は恥ずかしさを感じることで、成長するものだ”とつくづく思う」

野村氏は監督時代、選手たちに常々「恥を知れ」と説いています。失敗したプレーを忘れ、恥ずかしさを封じ込めてしまってはそれ以上伸びなくなってしまう。そんな思いからです。

プロとして何故失敗したのかを考え、繰り返さないための練習をしなさい、と教えたのです。

野村氏本人も、壁にぶち当たりながら成長してきた人間なのです。恥ずかしさを忘れるなというのは、野村氏本人の体験に基づく忠告なのです。


3.悪運は好運に通じる。逆もまた真なり

立花証券取締役相談役 石井久

「どうすれば成功するかは本当のところわからないが、どうして失敗したかならわかる。成功するには失敗しなければいいと考えた。」

株式の業界に身を置いた石井氏は、何を勉強したのか•••?

それは失敗の研究だったそうです。

相場で大儲けした人物がそのあとどうなったのかを調べてみると、ほとんどの人が贅沢をし、奢り、遊び、身を持ち崩していたのです。

石井氏は思いました•••「ならば、その逆をやればいいのではないか?」

石井氏は失敗しない為に、決して生活を変えなかったのです。

「負けず嫌いで人付き合いが苦手な私は、自分の生き方に合わないもの、自分の勉強にならないものは切り捨ててきた。」

石井氏はかなり極端な人物だったようで、自分を律する姿勢も徹底していたようです。自分に必要ないと思ったものは時間の無駄だと全て切り捨ててきたようです。その時間を全て勉強に当てていたようなのです。

世界から変人扱いされていたようですが、本人は「偏っていることは確かだから、『偏人』だと思っている」と言っていたそうです。


4.ヘビーな仕事が、人間を大きくする

石川島播磨重工業元社長 土光敏夫

「その人が100キロのものが持てるとすれば、120キロのものを持たせ、120キロのものが持てれば、140キロのものを持たす。人間を能力以下に置くのは、むしろ罪悪である。」

「人間尊重とは、ヘビー労働をかけ、その人の創造性を高めること」このように土光氏は言っています。

やり甲斐は、何もやらないでは得られない、生き甲斐は精一杯生きる努力をしなければ得られない。自らの能力を超える仕事への挑戦が能力向上への道なのである。

YANASE元社長 梁瀬次郎

「父が息を引き取るとき、”会社を潰してもいいから決して後ろ向きに歩くな、前をむいて歩け”と言われた。」

二代目YANASE社長だった次郎は父親と経営方針などあらゆる面で意見が対立していた。しかし父親の死の直前に、「二代目だからと、先代の会社をただ守っていけばよいという気持ちは後退を意味する。会社を潰しても構わない、そのくらいの気持ちで前に進むべきである。会社はそう簡単に潰れるものではない。•••思った通り思う存分に仕事をしてもらいたい。」そう言われたのです。

「商人はソロバンを忘れて喧嘩してはならない」

YANASEは輸入車販売業、メーカーとの販売権で、問題が起こった。次郎の父親はゼネラル・モーターズとの喧嘩で販売権を放棄してしまった。この一件は大きな損失を被ったのです。

この経験があった次郎氏は、フォルクスワーゲンと同じような問題が起こったとき、ギリギリの線で引いたのです。

「喧嘩はギリギリの線まできたらやめだ、最終衝突は避けなければお互いに大きな損失になる」として、最後は商人としての道を選択したのです。


5.「お金は力である」と、はっきり自覚せよ

大谷重工業創業者 大谷米太郎

大谷重工業は関東大震災後の復興の土建事業や鉄鋼事業を担った会社である。

「100万円の金ができれば『100万円の知恵』が湧いてくる。1000万円の金ができれば『1000万円の知恵』が出てくるのである」

大谷氏は20銭を持って富山から上京し、30年後には資本金1億1300万円の大谷重工業を設立しました。

大谷氏は努力と知恵で商売を拡大していったのです。

大谷氏は•••「金は力である」事を自覚せよ、と言います。世の中は甘くない、自分に力を付ける必要がある。力とは金、信用を得るのも金•••そう断言しています。

「もしタネ銭が10万円できたら、ものの考え方は1万円しかタネ銭がないときよりもはるかに豊かに、大きな知恵と計画がでてくるものだ。」と言っているのです。

「人間はいくら口が上手くても、実行しなくては信用されない。」

「ゆとりを持って商売するようでは事業は大きくならない、100円を10倍に生かす方法考えなければならない。自信があったときは無理をしてでもその仕事を手がけろ」

•••これが大谷氏の考えなのです。

アサヒビール名誉会長 樋口廣太郎

「岐路に立った時、常に私なりに良かれと思う道を選んできた。『チャンスは貯金できない』思い立ったが吉日である」

樋口氏は住友銀行時代、副頭取というポジションまで行きました。
しかし、頭取との意見の食い違いから銀行を去ることになったのです。

当時業績が落ち込んでいたアサヒビールに行くことを決意したのです。

樋口氏は立て直しが成功する確率は2割くらいかな?と思っていたようです。そこから13年後、ようやくアサヒビールは45年ぶりに業界トップに返り咲いたのです。

樋口氏は言います•••

「メーカーは大根役者であるべき、大根役者は監督の言うとおりに演じる、これはお客様の意見に基づいて商品づくりをする企業姿勢に通ずる。」

樋口氏が社長に就任した翌年、「アサヒスーパードライ」が発売された。この「スーパードライ」の大躍進でアサヒはトップに返り咲いた。この「スーパードライ」は顧客がなにを欲しているのかを徹底的に調べ上げた商品だったのです。大根役者が大向うを唸らせたのです。


6.まとめ

ここまでいろんな人の名言をまとめてきました。

誰もが知っている人から、業界では有名でも普通の人には馴染みのない人もいたでしょう。

ここに登場した人たちに共通しているのは、皆、バイタリティがすごいというところではないでしょうか?

この令和の時代では、もっと楽に生きてもいいのではないか?という時代に変わってきました。今の人たちには昭和を生きた人の働き方はもしかしたら古いのかもしれません。

しかし、何かを成し遂げようと思ったら、がむしゃらに頑張る時期があってもいいのかもしれません。

私のブログには、そういった働き方や、人間関係、お金などの問題をどうしたら解決できるのか?どうしたら円滑に楽しく暮らせるのか?その方法をいろんな角度から提案しています。

あなたに合った方法を見つけられるかもしれません。

それではまた会いましょう(*´ω`*)

さようなら( ´ ▽ ` )ノ

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